どちらに転んでも

 この世は不確実さに溢れている。わたしが思うに不確実さとはほぼ悪だ。

 悪とはすなわち害である。つまり不確実さというのはほぼ害なのだ。極端だと言われようとも、わたしはそう思うのだから仕方がない。

 不確実さは大抵の場合未来に存在する。未来がきらきら希望に満ちた素晴らしいものである、わけがないことは今日日小学生でも知っている。

 未来は思い通りになんてならない。甘くない。何が起きるかわからない。裏切られるかも。騙されているのかも。一度そんな考えにとらわれれば、愉快な気分ではとてもいられない。だけど未来のことを考えない人間はいないだろう。その不確実さにいらいらしたり不安になったり、それって最悪だと思う。わたしは人より不確実さに敏感なのだ。

 不確実さの最たるものは恋愛に違いない。特にに片想いという行為は絶対にありえない。自分に振り向いてくれるかもわからない相手にドキドキしたり、眠れぬ夜を過ごしたり、ささいなことで落ち込んだり、もはやそれはただのストレスである。わたしにはとても耐えられない。

 だけど世の中には物好きがいる。恋愛大好き、片想いが切ないけど楽しい、という変態がいる。わたしの友達の彩子がその変態の一人だ。

「トオルくんから返事が来ないよう」

 もうこの喫茶店に入って二時間。彼女はわたしの貴重な休日を潰している自覚はあるのだろうか。彩子は自分から呼び出したくせにぐずぐずとあれがいけなかったかな、これがいけなかったかな、なんて憶測を並べては落ち込んでいる。

「なんで返事くれないのって送ればいいじゃん」

「そんな重い女みたいなことできるわけないでしょ!」

「でも待ってるのが辛いんでしょ」

「そうだけど。仮にそう送ってそれでも返事が来なかったらどうするの!」

「さっさと諦められていいじゃん」

「馬鹿!あんたは乙女心ってものがないの?可能性を感じていたいんだよあたしは」

 彩子がバンバン机を叩くので、周りの人が見てきて恥ずかしい。わたしは彼女の食べかけのバニラアイスを指さした。

「まあ、落ち着いて。食べなよ、溶けちゃうから」

「食欲なんかない……」

「じゃあなんで追加で頼んだの」

「だって食べなきゃやってらんないじゃん!」

 いきなり彩子はスプーンを持って今度はガツガツとアイスを食べ始めた。まるで漫画みたいな女だな、とわたしは一歩引いて思う。

 彼女は基本的に要領がよく賢い女だ。学生時代から試験も就職もそつなくこなしていた。自分の身の程をちゃんと知っている、というのだろうか。極力無駄な労力を使わず、高望みせず、しかし損をしない程度に。そういう振る舞いが彼女は上手く、わたしはそんなところが好きで友達を続けてきた。

 しかし彼女にとって恋愛だけは別物らしい。

「ねえ、どうしよう。どうしたらいい?」

「連絡しないなら、待つしかない」

「待つのは嫌いなの!なんかもやもやするじゃん。吐きそうになる」

「じゃあやめちゃいなよ。片想い終了。終わりにしよ。楽になるよ」

「それができたら悩んでない。でもしょうがないじゃん。好きなんだもん」

 なに言ってんだか、へどが出る。

 やっぱり不確実さは害である。片想いなんて極悪である。賢い女も阿呆にさせるんだから、恐れるべきものである。

「あんたにはわからないんでしょ」

「さっぱりね」

「気の毒だよ」

「そっくり返す」

 わたしの答え方が勘にさわったのか、彩子はわざわざ息を大きく吸い込んでからため息をついた。

「あんたの考え方楽しくないように思える」

「イライラしたり悲しむのが嫌なだけ。確実なことだけ選んでいきたいだけだよ」

「つまんないよそんなの」

「辛いよりいいじゃん」

 彩子が反論しようと口を開きかけた時、彼女の携帯がブブブと震えた。彩子は飛び付き、悲鳴をあげて着信画面を見せてきた。

「どうしよう電話だ!トオルくんから!いきなり電話!どうしよう!」

「早くでなよ。切れちゃうよ」

「わかってる!あー、あー、ねえあたし変な声してない?」

「いつも通りだよ」

「よかった!……もしもし!」

 高い声で彩子が電話に出た。やたらどぎまぎしていて、なんだか面白い。そんなに楽しい話なのか?と聞きたくなるほど何度も笑い声をあげて、にこにこするのを押さえきれないらしく頬に手を当ててしきりに頷いている。

 ああ、なんか可愛いなあ。とわたしはぼんやり思った。そしてふと、涙がでそうになって慌てた。まさかわたし、羨ましいなんて思ってる?

「これから皆で集まるから来ないかって!」

 電話を切った彩子ははしゃぎながら言った。

「いいよ。行っておいで」

「ほんとありがと!さすが我が友!お代は今度でいい?」

 すでに立ちあがり、小走りで入口に向かいながら彩子が叫ぶ。本当、恥ずかしいからやめてほしい。わたしはただ手を振って見送った。

 急な静けさを持て余していると、店員が今日何度めかの水を注いでくれた。外を見ると日が暮れかけている。もう日曜日が終わりそうだ。

 その時はたと小さな不安が頭をかすめた。そういえば金曜日に顧客情報の載った書類をデスクの上に置きっぱなしにしてきてしまった気がする。上司に見つかると面倒だ。明日早く出るしかないか……。でも、万が一寝坊でもしたら?電車が遅れたら?不安はどんどん大きくなる。わたしは水を一気に飲み干した。

 今から会社に行こう。一時間くらいかかるけど、一晩中不安に過ごすよりましだろう。

 家とは反対方向の電車に揺られながら、すっかり暗くなった外気に合わせるようにわたしの心も暗くなっていく。

 わざわざなにをやっているんだろう、わたし。もし、上司に見つかってもちくりと小言を言われる程度だろうに。

 それにそろそろこき使われてばかりの今の小さな会社も、見切りをつける頃合いだ。転職活動でもしようかな。だけどすんなり決まらなかったら困るし、今より悪い条件になってしまう可能性もある。ちょっとリスクが大きすぎる。やっぱり当分今のままでいい。

 会社につき、休日出勤用の予備の鍵を植木鉢の下から取って裏口から入る。

 青白い蛍光灯を点けて自分のデスクに向かうと、書類はしっかり引き出しの中に入っていた。

 本当、なにやってるんだろうなあ。

 力が抜けて椅子に腰を下ろす。キイと間抜けな音が響いて、椅子にまで笑われた気がした。

 彩子は楽しくやってるかな。やっているに決まってるよな。

 なんだかむしゃくしゃしてきて、引き出しから気分転換用に忍ばせているチョコレートを取り出し、どんどん口に放り込む。

「これがわたしだしなあ」

 わたしは人より不確実さに敏感だから。

 だから、こうやって生きていくしかないのだろう。なんだか理不尽な気もするけど、しょうがない。

 あっという間にチョコレートがなくなった。明日出勤するときに買ってこよう。いや、時間がないといけないからやっぱり今日の帰りに買っていこうか。

 確実に生きるのも楽ではないんだよなあ、と思いながらわたしは「よいしょ」と重い腰をあげて立ちあがった。

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