危ないエミリー

 お互いに忙しくて、だいぶ会えていなかった恵美から連絡がきた。

 恵美は高校の時からの親友で、本当に気が合う。わたし達は地味な方だったから、堅実にやっていこうねとよく二人で言いあっていた。

『あたし車を買ったの!迎えにいくから遊びに行こうよ!今週の日曜日はどう?』

 すごい。恵美は車を買ったらしい。彼女は誰でも知っているような大手の保険会社で働いてるからなあ、お金も貯まるんだろう。東京に住んでいる限り車はかえって不便だよね、なんて話していたけど……。でも彼女がどんな素敵な車を買ったのか楽しみだった。恵美は昔から持ち物のセンスが良かったから。

 

「ハーイ!久しぶり!」

 だからわたしのマンションの前にくたびれた真っ赤なワゴンが停まっていて、その中から金髪でサングラスをかけた恵美がぶんぶん手を振っているのを見た時には、驚くのを通りこして心の病気にでもなったんじゃないかと心配した。外に漏れ出す程のやかましい音楽までかかっている。

「……恵美、どうしちゃったの?」

「いいから乗って乗って!あと、これからあたしのことは恵美じゃなくてエミリーって呼んで!」

 エミリー?大変だ。彼女壊れてしまったらしい。

 車の前で固まっていると、しびれを切らしたのか恵美はせかせかと降りてきて助手席のドアを開け、わたしを強引に押し込んだ。バタン!と必要以上の音をたてて、ドアが閉められる。

「オッケー、どこに行きたい?お腹すいてる?」

 再び戻ってきた恵美は声を張り上げてエンジンをふかした。

「ねえ、恵美」

「なに?声が小さくて全然聞こえない!」

 話しかけると彼女は耳に手を当てて、身体をこちらに寄せた。きつい香水の匂いが鼻を刺した。

 音楽がうるさすぎるのだ。わたしはボリュームのマイナスボタンを何度も押してから、恵美に向き直った。

「なにがあったの?どうしてこうなったの?なんかおかしいよ!」

 恵美はわざとらしくため息をついて、両手を広げてみせた。

「落ち着いて、ジェーン。説明するわ。あたしアメリカンガールになりたいのよ。もう縛られるのはごめんなの、わかった?」

 全然わからない。三十路を前にしてアメリカンガールを目指すことも、わたしをジェーンと呼んだことも。

「わたしはジェーンじゃなくて潤」

「細かいことはいいじゃない、ジェーン」

「その、映画の吹き替えみたいな喋り方やめて!」

「あなたもすぐにこうしたくなるわ。行きましょ」

 ワゴンが走り出した。やたらとエンジンの音が大きい。

「ねえこれ、かなり前の車だよね?」

「そう中古で手に入れたの。排気ガスの排出量がはんぱないわよ。クールでしょ」

 クールじゃないでしょ。もう、言い返す気力もなくなってきていた。

 鼻歌を歌いながら恵美はぴちぴちのダメージジーンズから煙草を引っ張り出した。同じくぴちぴちのTシャツには『MIAMI』のロゴ。マイアミ?ここは練馬区なのに。

「ジェーンも吸う?」

 盛大に煙にむせながら恵美はわたしにしわしわの煙草を投げて寄こした。首を振ると「じゃあ、こっち?」なんて言いながら、もう片方のポケットから透明なチャックのついた袋に入った粉を取りだす。

「なによそれ!」

 わたしは悲鳴をあげた。

「いいから、吸ってみて。なめてもいいよ」

 やだ、やだ、やだ!親友が完全に狂ってしまった。こんなものに手を出すなんて!

「なんて顔してるのよ。よく見て、この粉黄色いでしょ。ビタミンよ」

「ほんともう、やめてよ……」

 わたしは黄色い粉が入った袋と煙草を引っつかみ、後部座席に放り投げた。

「車に煙草にドラッグ、あとはお酒とセックスね」

「恵美、絶対アメリカ映画の観すぎだよ。それも偏り過ぎてると思う」

「ジェーン、せっかくだもの。楽しみましょうよ」

 こんな状況、誰が楽しめるっていうのだ。

「ねえ仕事は?その髪じゃできないでしょ」

「仕事なんて辞めたわ」

「それじゃ、生活はどうするの」

「マンションを売っぱらって小さなアパルトマンを借りたから、当分お金はあるのよ」

「去年買ったマンション、売ったの!?」

「半分は親が出してくれたし、まあいいじゃない。あたし他になんの贅沢もせずにお金を溜めこんでたでしょ。そういうの飽きちゃったの」

 わたしは、贅沢をせずにお金を溜めこんでる恵美の方が好きだった。それに

「ねえ、恵美。アパルトマンはフランスでしょ」

「あれ、そうだった?英語は苦手だからなあ」

 豪快に笑い飛ばす恵美。たしかに前よりとっても楽しそうに見えるけど……。

「さあ、残りはお酒とセックスだったわね。となると、クラブにでも行く?」

「こんな真昼間にクラブなんてやってないよ」

「じゃあ、お酒を買ってあたしのアパルトマンに行かない?」

「だからアパルトマンは……」

「オッケー、決まりね!」

 恵美は口笛を吹いて、ハンドルを切った。

 降参だ。とりあえず一度この新しい恵美、いやエミリーを受けいれるしかないみたい。

「ねえ、その。車と煙草とドラッグとお酒と……」

「セックス!」

「それ、セックス。さすがに今日の予定にセックスは盛り込んでないよね?」

「そうね……、家であたしとする?」

 わたしはまた悲鳴をあげた。

「うそうそ、そんなに怯えないで」

「やだ、もう帰らせて」

「つれないこと言わないで、親友じゃないジェーン。あなたもすぐにあたしみたいになれる」

 絶対、絶対なりたくない。さっきエミリーを受け入れるなんて思ったのは、やっぱり取り消し。

 とにかく携帯で休日診療の精神科を検索しなきゃとわたしは思った。それはもう、早急に。

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