姉ちゃんは恐竜

 僕の姉ちゃんはめちゃくちゃ怖い。恐竜みたいである。

 機嫌が悪いと床をどしどし鳴らして僕に八つ当たりに来るし、理由もなく僕の頭をぶつ。思い通りにならなければ甲高い声でキイキイわめき、ごきげんの時でも前触れなくひざ蹴りなどをかましてくる。

 両親はそんな姉ちゃんをかわいいおてんば娘、くらいの気持ちで見ているようだけど、本当ありえないと思う。姉ちゃんにはユノという無駄に女の子らしい名前が付けられているが、僕は心の中で「ユノゴンザウルス」と呼んでいる。

 ユノゴンザウルスは外面がいい。決して外では恐竜にならず、「かわいいユノちゃん」を演じている。そしてユノゴンザウルスは何故かモテる。同級生に「お前の姉ちゃんかわいくて優しそうでいいよなあ」と言われたのは一度や二度ではない。家では恐竜みたいなんだぜ、と教えても僕が恥ずかしがってそう言っているのだと思われてしまう。そのくらい、ユノゴンザウルスの外での振る舞いには隙がないのだ。

「ちょっと聞いてよ、今の彼氏まじ最悪なんだから。わたしと付き合えるだけ幸せに思えよって感じ。あんたもそう思うでしょ?」

 ユノゴンザウルスの歴代の彼氏の愚痴を、僕は嫌になるほど聞かされてきた。やつはいつでも上から目線で、自分を好いてくれている男のことをズタボロに言う。そして同調しなければ、僕を物理的にズタボロにする。

「帰らないと親が心配するーだって。マザコンかってのよね」

「相手も姉ちゃんも高校生だし仕方ないんじゃない。それに親に心配かけないようにって優しい人じゃんか」

 僕が中学生の時、一度まともに反論してみたら2週間は消えないあざをすねに作られた。僕はこの時から、ユノゴンザウルスの話にはまず、「そうだね」「確かに」のどちらかで返すことに決めている。それも彼女の機嫌が悪ければ意味がないけれど。

 ユノゴンザウルスはその後も恐竜っぷりをひそませることなく、大人になっていった。もちろん僕も大人になった。僕らは親に、いい歳していつまで家にいるの?と言われても、まだ家から仕事に通う生活をしている。

「あんたたちは仲がいいんだから」

 両親は困った風に言う、でも本当は嬉しいのだろう。そういう時いつも頬が緩んでいるから。だから僕はそういう事にしてやっている。職場から充分近いのに引っ越すのがめんどくさいだけ、だなんてわざわざ言わなくてもいい。

 ユノゴンザウルスは仕事のストレスをしっかり持ち帰る。そして当然のように僕にあたる。今では僕の方が背も高いしガタイだっていいから、ちょっとひざ蹴りされたくらいじゃ大したことはない。彼氏の数もとっくに両手と両足で数えきれないくらいになってきた。この調子じゃ、歳を取っていつか相手にされなくならないと自分の傲慢さには気づかないんだろうな、と僕は思っていた。そんな頃だった。

「姉ちゃんが結婚?」

 両親が浮かれまくって僕にユノゴンザウルスの結婚を伝えてきたのは。

 それからというもの、ユノゴンザウルスはすっかり、なりをひそめた。僕に彼氏や仕事の愚痴を言うことも、殴ることも蹴ることもなくなった。僕を呼ぶ時に「おい」じゃなくて「ねえ」になった。

「姉ちゃん、ほんとに結婚するの」

「するわよ」

「そんな調子でずっと大丈夫なの」

「そんな調子って?」

「やけにおしとやかすぎるっていうか」

 僕がそう言うと、ユノゴンザウルスは「ユノちゃん」の笑顔を僕に向けてきた。これは僕が覚えている限り、始めてのことである。

「今までありがとうね」

 なんだか落ち着かない。なんか気持ち悪い。ありがとうなんて、こいつ熱があるんじゃないか。

 僕は訊いた。

「旦那さんになる人は姉ちゃんの愚痴とか聞いたり、殴られたりしてくれるの」

「好きな人にそんな姿見せられるわけないでしょ」

「じゃあ、これからむかついた時はどうするのさ」

 ユノゴンザウルスは考えるように目線をあげた。しばらくして、僕の顔を見る。

「仕方ないから我慢するわ」

 想定外の答えに僕はびっくりして言葉をなくした。ユノゴンザウルスの決意は本物らしい。

「……結婚って女を変えるんだね」

 やがて僕がしみじみと言うと、何が面白いのか大笑いされてごく軽く、頭をこづかれた。

 ユノゴンザウルスは完全に封印された。

 こづかれた頭をさすりながら僕は、ちょっと物足りないかなあなんて思った。

 

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