おませな美奈ちゃん

「今さら何の用?」

 小学5年生の娘が受話器の向こうへそんな言葉を投げつけているものだからつい、顔をあげてしまった。電話の相手は先月遠方に引っ越してしまった男の子。先ほどわたしが取り次いだのだ。

「わたし待てない女だから。別に男はハルくんだけじゃないし」

 おいおい、君は一体いくつなの。年齢の割にませた子どもだとは思っていたけれど、とわたしは驚く。

「夏休みに返ってくる?ふーん、まあ暇だったら会ってあげてもいいよ」

 ハルくんは小学生なりに、娘の美奈とお付き合いをしていた“元カレシ”らしい。ハルくんの引っ越しにともなって「遠距離なんて無理に決まってるじゃん」という美奈の一言でお別れになったと聞いていたが。

「とにかくわたし忙しいから、そんなことでかけてこないでね」

 終話ボタンを押して振り返った美奈と目が合う。

「ちょっとママ、盗み聞き?やめてよね」

「別に聞いてないわよ」

 美奈はどうだかという風にため息をついて、言葉を続ける。

「あーあ、未練たらしい男って困っちゃう」

 一言なにか言ってやるべきか悩んだものの、適した言葉が見つからず肩をすくめるだけにとどめた。美奈はそんなわたしを不服そうに見たが、すぐに床に寝ころがりテレビのチャンネルを回し始めた。忙しいんじゃなかったのかい。わたしは心の中でそう思わざるを得ない。美奈は今勢いのある女優とイケメン俳優の禁断の恋愛を描いたドラマでチャンネルを止めた。

「しまった、先週見逃した」

 その後、まあいっか、どれも似たようなものだし。などとつぶやいている娘を見て、わたしは少しばかりの危機感を覚えた。女の子は大人ぶりたがるとは聞くが、ちょっといきすぎではないだろうか?美奈は発育が良く、中学生に見間違われることもある。そういう子は仲間内で男女問わず憧れの対象になるようで、彼女いわく大変なモテ様であるらしい。ハルくんに決めたのは「みんなわたしをかわいいって言う表現方法しか持ってないけど、ハルくんはきれいだと言ってくれた」からだとか。いっぱしの女みたいなことを言っちゃって、とは思ったが微笑ましい範疇だと気にせずにいた。もしかすると、そういう事の積み重ねがいけなかったのだろうか。

 

 3日と開けずにまたハルくんから電話がかかってきた。

「ハルくんだけど」

「いないって言っといて」

 今日の美奈はわたしが買っておいた雑誌を食い入るように見ている。30代向けの雑誌をティーンが読んでどうするんだ。呆れたわたしはハルくんに「今変わるね」と伝えた。

「いないって言ってって、言ったでしょ」

 ぷりぷりしながら電話に出た美奈は、相変わらずつっけんどんな返事を重ねている。わたしはハルくんが気の毒になった。

「8月の始め頃に来る?そう。そんな先のことたぶん覚えてられないけどね」

 聞き耳を立てていると突然くるりと美奈が振り返った。手で追い払うような仕草をする。まったく親に向かってやることかしら。しかし、確かに野暮ではあるし、わたしはキッチンの片づけを思い立ったふりをしてリビングを美奈に明け渡した。

「だって勝手にいなくなったのはそっちでしょ」

 出て行く間際に美奈がわずかに声を上ずらせているのが聞こえた。今日日の小学生は大変だなあ、と思いながらわたしは扉を閉めた。

 

 またハルくんから電話がかかって来た。彼もめげない男である。

「ごめんね。美奈は今日お友達の家にお泊まりなのよ」

 その日は本当に美奈がいなかったからそう伝えると、ハルくんは「そうですか」とあからさまにがっかりした声を出した。が、すぐに明るい調子に戻ってこう続けた。

「でもラッキーだったかも」

「どうして?」

「美奈ちゃん、直接話すといじっぱりだから、手紙を書こうと思って。住所を教えてもらえませんか?」

 幼い彼の愛情にわたしは感激した。そうか、美奈は素直になれないだけだったのか。それを全部わかって手紙を書こうと思いつくなんて……。美奈にも、この思いやりのひとかけらでも身につけて欲しいものだ。

「絶対、美奈ちゃんに内緒にしててくださいね。驚かせたいから」

「わかった、約束するね」

 ハルくんよりわたしの方がうきうきしているような気すらした。

「メールができればいいんですけど、美奈ちゃん携帯持ってないから」

「うちは高校生までは持たせないって決めてるのよ」

「はい、美奈ちゃんに聞きました」

「ものわかりの悪い親で嫌になっちゃう、なんて言ってたでしょう」

 美奈の口ぶりが想像できて思わず笑うと、ハルくんも笑ったのが受話器ごしに伝わった。

「ううん。心配なんだろうから我慢してやるしかないか、なんて言ってました」

「へえ、そうなの……?」

「あ、これ言ったのも美奈ちゃんには内緒で!」

 ハルくんは喋りすぎたと思ったのか慌てているようだった。

「わかってる、わかってる。今日電話があったことは内緒ね」

 電話を切った後、子どもには親の知らない顔があるものだと少し感慨にふけってみたりした。

 

 数日後、かわいらしい水玉の封筒が届いた。

「お手紙が来てるわよ」

 何気なさを装って渡すと、美奈は差出人を確かめ顔をしかめた。

「ピンクと黄色の水玉……、ださい子どもみたいなセンスね」

 そんなことを言いながらもさっさと手紙を持って自分の部屋に入っていく。完全に恋する乙女の後ろ姿だなとおかしかった。

 翌日、美奈の部屋に掃除に入ると、ハルくんからの手紙が机の目立つ場所に飾ってあった。やっぱり嬉しかったのね、なんて思いながら窓を開けてごみを回収する。ごみ箱にはなぜか剥がされたカレンダーが2枚入っていた。今は月末でもないし、まだ6月なのに7月分まで剥がされている。

 目線を上げてカレンダーを探すと、8月のカレンダーの最初の週のひとつに、ちいさなハートマークが書かれていた。確か8月の始めにハルくんがくると言っていたはず。いつだったか美奈がだるそうに口にした台詞が思い起こされた。

「わたし待てない女だから」

 生意気ばかりだけど、かわいいところもあるじゃない。

 わたしはしばらく、にじみ出てくる笑いをこらえ切れずに、待ちきれないカレンダーを眺めていた。

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