さよなら宝物

 春島愛美に大事なものを盗られた。

 お父さんが九州に出張に行ったお土産に買って来てくれた、水色の綺麗なぱっちんどめだ。

「千秋、水色好きだろう」

 と言って父がふたつでセットのぱっちんどめをくれたのは一週間前。わたしは毎日左右の髪を耳にかけて、それぞれにひとつずつぱっちんどめを付けていた。学校以外ではずっと。

 朝ぱっちんどめを付けてから家を出る。角をみっつ曲がったら外す。学校から帰る時も同じ角で付ける。それが最近のわたしの習慣だった。

 本当なら一日中付けていたいけど、それは無理。だってわたしはものすごく地味だから。いじめられてはいないけど、いじめらてはいないってだけだし、友達と呼べる子もクラスにいない。そんなわたしがいきなりおしゃれな子がするような目立つぱっちんどめなんてしていったら笑われものだ。そんなことでいじめが始まってしまったら、ぱっちんどめと父を恨まなきゃいけなくなる。わたしは少し心根が曲がっているからきっと恨んでしまう。そういう人間だ。

 わたしに優しくしてくれるのは、子煩悩な父と世話焼きな母だけ。わたしは家が好きだ。唯一、存在を認めてくれる場所だから。ぱっちんどめを付けていても笑われないし、可愛い、可愛いと喜んでくれる人がいるから。だから私にとってぱっちんどめは宝物だった。

 なのに春島愛美が、わたしの宝物を盗った。

 春島愛美は頭が悪い。あんなに堂々と付けていたら、本当の持ち主はすぐ気づくっていうのに。持ち主が名乗りをあげたら「この子嘘ついてる」と平然と嘘をつくのだろうか。クラスのみんなは春島愛美を信じるだろう。わたしがもう片方のぱっちんどめを見せても、むしろわたしが盗ったことにされるだろう。悲しいけれど、そうなってしまったらそれが真実だ。教室ではいつだって権力のある者が正しい。

 だからわたしは考えた。春島愛美がぱっちんどめを付けはじめてから三日、母と父に前髪にとめるようになった片方だけのぱっちんどめを少し不審がられはじめている。わざとやっているのだとごまかすのもそろそろつらい。

 春島愛美は安心しているだろう。自分の権力の前に、持ち主は騒ぎもせずに諦めたと。もしくは盗ったことなんて忘れているかも。すっかり自分のものにした気でいるんじゃないだろうか。事実、春島愛美にぱっちんどめはよく似合っている。わたしよりずっと。

 だけど甘いぞ、春島愛美。わたしの宝物、絶対に取り返してやるから。

 わたしは母に相談した。落としたぱっちんどめを盗られたこと、犯人はわかっていることを話した。

「でもね学校には言ってほしくないの。愛美ちゃんかわいそうでしょう。だから、こっそり愛美ちゃんのママに返してくれるように言ってよ」

 私がそう言うと母は「なんて優しい子」と目をうるませた。

 本当はおおやけにしてクラスでの春島愛美の評判を下げてやりたかったけど、今回は許してやろう。相手は春島愛美だから、上手く立ち回られたらわたしが不利になる可能性もある。仕返しなんてされたら、面倒だし、正直怖い。まあ個人的に丸くおさめてやったとしても、彼女の親にはたっぷり叱られるだろうからいい気味だ。

 母の行動は早く、その日の夜には春島愛美とその母親が家にやってきた。驚いたのは彼女がまだぱっちんどめをしていたことだ。

「それわたしの……!」

 思わず叫んでしまった。春島愛美はそんなわたしをぎろりと睨む。駄目だ、こいつ全然反省してない。やっぱり大事にしてやればよかった。

 後悔したがすぐに春島愛美の母親が無理矢理彼女の頭を押さえつけたから、ざまあみろと思った。

「この度は申し訳ございませんでした!」

「痛いっ!やめてよっ」

 文句を言う春島愛美の頭をさらに押し付けて、母親は自分も深々と頭を下げた。

「そんなことしなくていいんですよ!ただ知らないふりをするのは愛美ちゃんにも良くないと思ったものですから……」

 慌てた母が言うと、春島愛美の母親はまた「申し訳ございません!」と謝った。

「この子、実はこれが初めてじゃないんです。前にも似たようなことを何度か……。このピン、友達から貰ったと言うのを信じたわたしがいけなかったんです。この子の言うことなんて、なんで信じてしまったんでしょう。外せと言っても馬鹿みたいに騒いで外さないんです。本当に申し訳ないのですが、弁償させていただけませんか……」

 はあ、なんだそれ。さすがに反論しようと口を開きかけたがやめた。春島愛美が泣きそうな顔をしていたから。それが怒られているからじゃなく、先ほどの母親の言葉のせいだとわたしにもわかったからだ。

「ママはどうせわたしのことなんて信じないもんね」

 震える声で春島愛美が言う。すると、すぐに母親はかん高い声で怒鳴りつけた。

「馬鹿ね!こうやって実際に嘘をついているでしょう。もう本当に情けないったら。何回わたしに恥をかかせるの!?」

「春島さん、それくらいに……。弁償なんていいですから。ね、千秋?」

「……うん」

 だってそういうしかないでしょ、こんなの見せられたら。なんでわたしが春島愛美に同情しなくちゃいけないのか。納得できないけど仕方ない。実際に春島愛美はかわいそうだった。

 嵐のようだった春島母子が帰ったあと、母は困ったように笑って「愛美ちゃん、とっても似合ってたしお揃いってことでいいでしょう?」などどわたしに言った。

「いいよ」

 全然よくないけどね。

「はあ、なんだか大変だったわね」

 母はそれきり、ぱっちんどめのことなど忘れてしまったようだった。

 わたしの宝物だったのに。それに、わたしには似合っているなんて言ったことないのにな。「愛美ちゃん、とっても似合ってたし」という母の言葉が頭を巡る。

 わたしに可愛いって言うのは、父が買ってきたぱっちんどめを素直に付けているわたしの行動が可愛いってことなんだろう。まあ、それでもわたしはとても愛されてはいる。本当は春島愛美より恵まれているかも。でも母の言葉はぷすりと心に刺さったままだった。

 翌日も春島愛美はぱっちんどめを付けていた。

 よくやるよ。昨日まで見通していると思っていた彼女の気持ちが、今では全然わからない。机の下で彼女とお揃いということになったぱっちんどめをなでる。なんだかもう、宝物の輝きがなくなってしまったように感じる。

 ふと視線を感じてそちらを見やると、今学期、美化委員を押し付けられた橋下さんが慌てて目を逸らした。逸らす前の一瞬だが橋下さんはわたしの手の中にあるぱっちんどめを見ていたように感じた。

 なによ、欲しいならくれてやるよ。

 ちょっと心の中で毒づいて春島愛美に目を戻す。キラキラと輝くあの水色のぱっちんどめは本当にこれと同じ物なんだろうか。
その日の放課後、もう片方のぱっちんどめを橋下さんの靴箱に入れた。別に惜しいとは思わなかった。

 元はといえば、落としてしまったわたしのせいだ。ごめんね、たしかに宝物だったのに。

「らん、らん、らん」

 鼻歌でもうたって、ぜんぶ忘れて。泣かないように家に帰ろうと思った。

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