わたしとナルミ

「秋っていいよねえ」

 手洗い場でたまたま出くわした時、同期のナルミがだるそうに言った。

「うん。涼しくて過ごしやすいしね」

 わたしは歯磨きを続けながら、半分スペースを譲り適当に答えた。小さな会社だから、鏡と蛇口がひとつしかないのだ。

 ナルミとわたしは全然タイプが違う。王道のコンサバファッションが好みのナルミは、紺とグレーとベージュのカーディガンを順番に着まわして、休日はレンタルビデオ屋で借りたDVDを観るのが趣味のわたしのことを退屈な奴だと思っている。

 一方で、定時の十五分前には帰り支度を始めて、毎日のように洒落た店で様々な男友達(と彼女は言っている)とお高いディナーをしたり、ネイルサロンや美容院に足しげく通っているナルミのことを落ち着かない奴だとわたしは思っている。

 三年前に二人揃って同時入社してから、新人は入ってきていない。他は歳の離れたオジサンばかりだし、怖いお局もいない。女性社員はわたしたち二人だけだ。

「なんか秋っぽいことした?」

 ファンデーションをやたらとはたきながらナルミが言う。

「まだ。今日帰りにコンビニで限定スイーツでも買ってみようかな。かぼちゃとチョコのプリン気になってんの」

「あー、それ絶対最高じゃん。やっぱ秋は芋、栗、かぼちゃ系だよねえ」

 芋、栗、かぼちゃ系って響き、最高にあほらしい。が、女同士なんてそんなものだ。別に意味なんてないし、挨拶みたいなものだから。

 お互いのことに興味なんてないし、会話を楽しみたいわけでもないが、会えば当たり障りない会話をする。あなたに敵意はありませんよという意思表示なのだ。

「うーん、フランスの化粧品って匂いがきついんだよね。そう思わない?」

「わかんない。あたし全部薬局で買ってるから」

「まじ?でもそれが賢いよ。効果はたいして変わんないって」

「でも、それパッケージかわいいね」

「でっしょー?一目ぼれして買っちゃった」

 いつも会話は唐突に途切れる。その際に間髪いれず「じゃあ、お先」と先に出た。ナルミは目をひんむいてマスカラを塗りながら空いている手をひらりと振った。

 わたしたちはタイプは違うが、仲が悪いわけじゃない。むしろ上手く平和にやっていると思う。ただ、ナルミと話すと少し疲れる。

 家でのんびりテレビを見ていたら、携帯にメッセージが届いた。中学時代から友人のクミからだった。ちょうど面白いところだったし、わたしは開かずに無視することにした。このところクミにはうんざりさせられているのだ。彼女は今「人生の修羅場」らしくて、四六時中けったるい事を言い続ける面倒な奴になっている。SNSでは分刻みでネガティブな内容を呟き、思ったような反応が得られなければわたしにこうやってメッセージを送ってくる。

 一分もせずにまた一通、さらに数分後にまた一通、やがて連続的に携帯が震えだしてわたしはため息をつきながらメッセージを開いた。

20:55 まじでこの世は暗闇
20:56 彼氏にも振られるし、仕事も上手くいかないし、わたしの生きてる意味ってなに
21:03 ねえ、見てる?
21:03 おーい
21:04 ねえ 
21:04 辛い 
21:05 会社でもどうでもいい話に合わせたりさあ。しんどいよね 
21:05 なんの意味があるのって感じだもん
21:05 当たり障りない沈黙うめるだけの会話ってさ
21:06 最近は、人が振られたの心配するふりしてみんな面白がってる
21:10 ねえ、返事ちょうだいよ 

 ざっと読んでわたしは携帯を放りだしたくなった。メッセージを開いたのを通知で確認したのか、すぐに電話がかかってくる。

「はい、もしもし」

 しょうがなく出た。いったい何時間捕まるんだろう。一時間程度で済めばいいんだけど。

「やっと繋がった!もう聞いてよ。まじで修羅場。ほんとにわたしの人生、どん底」

 どうせ次の男ができれば忘れてしまうようなどん底に、わたしは日付が変わった後も付き合わされた。

 クミからの電話は数日に渡って毎晩続いた。日常の愚痴から始まり、しだいに世界だとか日本人という人種のせいだとかに広がり、おそらくネットで拾ったのであろう矛盾だらけの哲学や精神論に発展するのがお決まりだ。昨日の彼女は人間は結局顔で決まる、という手垢のつきまくった「真実」をさんざん大げさな表現で喋り通していた。とにかくわたしは寝不足だった。

「なんか最近疲れてなーい?」

 また手洗い場で居合せたナルミが語尾をあげながらきいてきた。

「うん。ちょっとね」

「肌に出ちゃうよねー」

 つまり肌に出てるってことか。わたしはポーチの中を引っかき回して、いつから使っているのか思い出せないファンデーションを取りだした。週の頭に見て以来のナルミのファンデーションは新しいものになっていた。

「やっぱ日本のブランドが一番っしょ」と彼女は言っていた。

「ねえ。ナルミは人間は結局顔だと思う?」

 クミと連日話していると、ナルミの乾いたテンションが心地よく感じた。じめじめした心を軽くしたかったわたしは、そんな質問を思わず口にしていた。

「なに、いきなり。普通に女は顔が命じゃん?」

「やっぱそうなんだ」

「なんならわたし整形してるしね」

 ナルミはこともなげに鼻をトントンと指す。わたしは驚いて彼女の鼻を見つめた。

「まじ?」

「まじ。上手いことやってるでしょ。紹介してあげようか?」

「いや、そういうのじゃないの」

 わたしが慌てるとナルミは笑った。別に続きを求めていなさそうだったからわたしも笑っておいた。なんだかほっとした。
 しばらくいつも通り、新しくできた隣駅のイタリアンの雰囲気が良さげだった話などを続けた。

 会話は突然途切れて今日はナルミが「じゃあ、お先」と言った。わたしも「うん」と頷いた。

 ナルミが出ていったあと、やっぱりナルミと話すのはちょっと疲れる、と思った。クミの重たい話を聞くのとは違う疲れだ。そんなことを思った瞬間に「そう言えば」とナルミが扉を開けて鏡越しに目が合ったものだから、わたしは飛び上がった。

「なに」

「うん。わたし今月いっぱいで退職なんだよね」

「え、結婚でもするの?」

「それだったらいいんだけどね。なんか違うことしよっかなーって」

「次は決まってるの?」

「ううん」

 大丈夫なのか、それ。と思ったけど言わなかった。「なんとかなるでしょ」と、軽い調子で返ってくるのがわかっているからだ。

「そうなんだ。ちょっと、寂しいかも」

 社交辞令で言ったつもりだったのに、自分で思っていたよりその声が真実味を帯びて響いたことに驚いた。ナルミも少し驚いたのか、一瞬だが目を開いて今しがた塗った濃すぎるリップの目立つ口をぽかんと開けた。しかし、彼女はすぐにいつものだるそうな表情を取り戻す。

「まあ、最後に一回くらい飲みにでも行こうよ」

「うん、そうしよう」

 お互い行く気もない、きっと果たされない約束をした。ナルミは再び扉の向こうに消える。

 今月あと何回ナルミと手洗い場で当たり障りのないお喋りができるのだろう、と考えるとちょっとしんみりした。

 でも電気を消して扉を開けたら、それもすぐに忘れた。わたしとナルミの関係はそんなもので、それでいいのだ。

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